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美人の方が性格が良い
美人の方が性格が良い。美人の方がブスよりも性格が悪いというのは、現実から目をそらすための言葉にすぎない。
美人は性格が悪いか
友人が「美人は性格が悪くなるんじゃないか。周りからチヤホヤされるし」言っていた。私はその場で否定した。そんなロジックで良いのなら「不細工は性格が悪くなる。恋愛中心の世界で男からまったく相手にされないのだから、性格は歪む」という答えになってもいい。そんな前置きは置いといて、「美人は性格が良い」ということについて書いてみたいと思う。
美人を生産するには
高い階層の人には美人が多い。容姿は基本的に先天的なものだ。親の組み合わせと運で決められる。確率的には容姿の優れたカップル同士から美人が生まれる可能性が高いだろう。よって、美人の親もまた美人やイケメンである確率が高いと考えることができる。
また、美人という要素は大きな資源であり、美人であればよりよい男性と結婚できやすいが、不細工だと難しい。あくまで主観にすぎないが、女性労働者を眺めてみると、家計が苦しく働きに出ざるを得ないパート労働者は比較的容姿が劣る。経済力のある男性を捕まえられなかった結果だろう。美人であれば、不細工よりは高い確率で経済力のある男性に寄生して専業主婦に成り下がることもできる。
美人か不細工かで結婚相手の可能性がある程度決まり、結婚をして子どもを産む。そして容姿は遺伝する。
以上のことから、高い階層の人々はその資源を生かして不細工よりも美人を多く再生産してしまう、と考えられる。
高学歴者は冷たくない
高学歴者は人間的に温かい。有名大学に入ることの出来た人は有名進学校で受験競争を勝ち抜いてきたたために人間として学ぶべき大切な何かを忘れてしまった・・という類の言説は愚かな専業主婦を中心に世に溢れている。「勉強はできるが人への思いやりが欠ける」「理屈っぽくって心が冷たい」など、いかにもステレオタイプな高学歴像である。
教育社会学者の苅谷剛彦は、こうしたステレオタイプに囚われた見方を批判し、むしろ有名進学校出身の人たちの方が様々な経験をし、地方の公立学校の人よりも豊かな人間形成が達成できていると述べている。その背景には、経済的・文化的豊かさがあるという言う。こうした生まれながらの家庭環境の影響で、子どもは巧みな人間関係の術を身につける。(苅谷剛彦『知的複眼思考法』講談社 2002 p.38-39)
豊かな環境で育てば教育も充実し、心も豊かになる。貧しければ文化レベルも低く、お金もないので活動できる範囲が限られ、心を成長させる機会に乏しい。
美人の方が性格が良い
親が美人であれば結婚して豊かな生活を手に入れられる。遺伝子は子どもに受け継がれ、美人が再生産される。生まれた家庭環境は経済的・文化的レベルも相対的に高いので、そうでない不細工よりも経験豊富で豊かな心を形成する。よって美人の方が性格が良い。
やはり「持てる者はますます持つ」のだ。
ここでは、遺伝と家庭環境から容姿と性格の関係について考えた。少なくともこの2点からは、「不細工の方が性格が良い」という結論は導き出せない。
人は現実から目を背けなければ生きていけない
先ほどの苅谷氏の本から引用しよう。「受験を勝ち抜いてきたものは、人間的には冷たい」といったイメージが、どうしてこれほど広まっているのか。そうした「常識」が広まることで、何が隠されているのか。競争の勝者を否定的に見なすことで、私たちの社会は、何を得ているのか、何を失っているのか。
(苅谷剛彦『知的複眼思考法』講談社 2002 p.39)
競争の勝者やこれから勝つであろう勝者、つまり美人のことだが、なぜ美人は否定的に見られるのだろうか。
美醜によって、人の値打ちを計るのは残酷かもしれませんが、美醜によって、好いたり嫌ったりするという事実は、さらに残酷であり、しかもどうしようもない現実であります。
(福田恒存『私の幸福論』ちくま文庫 p.16 )
あまりに捻りのない考えだが、どうしようもない現実から目を背けるために、美人の価値を低めるのではないだろうか。「美人の方が性格が悪い。不細工の方が性格が良い」と考えてた方が、不細工と付き合っている男性にとっては、溜飲を下してくれる効果をもたらす。世の中美人が増えたとはいえまだまだ不細工が多く、そしてそうした不細工と付き合うのは高い立場にいる男性ではない。もろもろの不満を飲み込んで解消してくれる役割を持つ言葉が「美人の方が性格は悪い」なのではないだろうか。
美人の方が性格が良い。
美人の方が不細工よりも性格が悪いというのは、現実から目をそらすための言葉にすぎない。